愛し沼の底

歪みかわいい集め

通院記録 1

私が何か言うと先生のキーボードが鳴る。

 

『神様になれないのならダニとして生きていくしかない』

『人に認識されないと私はここにいるとは言えない』

『献身の頂点にいる人が絶望してしまうなら人間は正しくなることを諦めなくてはならない』

 

初めは勢いも良かったのにだんだんと元気がなくなっていく。最後には面白くもない話を繰り返し繰り返し、音もなくなっていく。考えながら話すことは得意ではない。考えを順序立てるというのは苦手だ。私の中から、ねばついて熱い気持ちが流れていく。それを止めることも流すこともできない。喉がぺたぺたに乾いていった。

 

「気持ちいいこと」が文字にできている躁期の私は調子が良いことばかりを言うし、まじめに物事に向き合わない。人を苛立たせたり揺さぶるのが上手い時期と言い換えても良い。今日はあまり考えないままに病院に来ていた。

 

「きみは、なりたいものがわからないみたいだから。まず自分で、自分のために生きた方がいいのではないでしょうか」

 

たしかにその通りで私はいつも誰かのせいにしたい、私は絶対悪くない。言い訳の蛆虫だ。図星にたじろいでしまう。ああ、だんだんと先生がつまらねえなあという顔をしてきた。こういう顔をしている人を放っておくことはできない。頭が白くなるほどおっかない。私は足りない頭で考えた。ぐるぐるしている時は部屋に飾られているらんまのシャンプーちゃんのお人形を眺めている。

 

エビリファイは凄いですね。一人でいても人間みたいな情緒で生きていけるのは初めてですよ。さすが大塚製薬。だいたいこういうお薬はアメリカから輸入されるものではありませんか。それなのに日本で開発されて世界に羽ばたいて、そして、私を助けてくれている。日本もバカにしたものじゃあないと、未来に期待ができる気がして幸せです』

 

「そうだね。ファンレターみたいなのを書けばいいと思いますよ。お薬をつくってる人も多分うれしいだろうと思います。あんまり誰が作っているなんてことを気にされないものですから」

 

私はどういう形でもわたしの手元にやってくるものは、どうやってつくられたのか気になる。誰かが運んで、誰かが作って、誰かが育てた。人の沢山の手を感じるから好きだ。私を思って作ったものでなくても、作る過程でそれにかけられている熱が得られる気がするからだ。

 

何者でもない幽霊の私が大事にされている感じがすると生きていると思える。看病されて食べさせてもらうプリンや着せてもらうパジャマと同じ喜びの味がする。これが世界に愛されるための消費行動なのだ。

 

家族からは覚せい剤と呼ばれている元気のみなもとエビリファイちゃんとルネスタを貰って帰宅した。